だらだらと書いてます。


by luchino001
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近所の事件

 先日の夜、帰省のための準備で掃除していると、突然近所から自動車のけたたましいブレーキ音が聞こえた。
 やがてパトカーの音がやってきて、その数分後、今度は救急車のサイレン音も聞こえてきた。
 どうやら交通事故が起きたらしい。

 野次馬に行っていた近所のおっさんの話によると、轢き逃げ事件で犯人はそのまま逃走したそうだが、数時間後に車が見つかり逮捕されたとのこと。
 被害者の方は病院に運ばれた時点で亡くなっていた。

 犯人は事故を起こして動転してしまい、思わず逃げてしまったのだと思われるが、もしその場で車を止めて通報していれば、被害者の未来は変わっていたかもしれない。
 どうしようもなく追い詰められたときにこそ、その人の人間性ははっきりと現われてくる。
 不幸な出来事は突然、理不尽に襲いかかってくることがあるが、現実から逃避するのか、それとも向き合うのか、どちらにしても不幸な状況から抜け出せるわけではないが、できれば自分は向き合う方でありたい。
 正義感とか責任感とかそういうのでなく、そこで逃げてしまえば、もう人として浮上することはできないかもしれないという恐怖感があるのだ。

 被害者と加害者、両者とも普通に生活していて、何の前ぶれもなく突然、どん底に突き落とされることになってしまったが、共に家族や大切な人がいるはずで、事件によってその人達にも不幸が波紋のように広がって届くのだと思うと、やりきれない思いがする。
 不幸の伝播力はなんでこんなに強いのだろう。
 
 もしかすると、その波紋をできるだけ小さく止めるための方法として、宗教ができたのかもしれない。
 宗教といっても、信じると幸せになる、生命力が上がる、願い事が叶う、なんてことを勧誘でいわれてもあまりピンとこない(もし気が変わって信心をやめたら、幸せがなくなって、生命力が落ちて、願い事も叶わなくなりそうじゃないか)。
 信じることによる幸福や歓喜を得ることよりも、不幸を飼い慣らす、あるいは幸福や不幸といった概念自体に捉われなくなるというのだろうか、僕は宗教のそういう面について興味をもっている。
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by luchino001 | 2005-08-14 01:35 | 出来事