だらだらと書いてます。


by luchino001
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カテゴリ:思ったこと( 14 )

安全第一

 建築現場や工場でよく目にする『安全第一』という標語があるが、この言葉には続きがあることを知っている人が実は少ない。
 安全第一だけでは安全がいかに大事なのかがもう一つ伝わらない。

 正式には、『安全第一 品質第二 生産第三』 という。

 これは100年ほど前にアメリカの鉄鋼会社(たぶんU.S.Steelだったと思う)で作られた標語で、その企業は売上げばかりを追いかけて生産を最優先していたために品質が悪くなり、しかも不十分な安全管理で事故を多発した結果、経営が極度に悪化してしまった。
 その危機を打開するために、この言葉は考え出された。
 これを実践した結果、その企業の業績は劇的に伸びたという。

 100年前の標語が、不完全な形とはいえ未だに色んな生産現場で掲げられているのだから、企業の経営にとって安全がいかに品質や生産よりも優先すべき重要項目なのかがよく分かるのだが、この安全を現場だけでなく製品を届けられる消費者のところまで含めて考えると、最近起こった事故米や船場吉兆の例がことごとくこの標語に当てはまってしまうのだ。
 本当に良く出来ている。

『安全第一 品質第二 生産第三』

 業種を問わず会社を経営している人はこれを肝に銘じて仕事をするべきでしょう。
 モラルとしてだけでなく、そう実践したほうが確実に儲かるんですから。
 会社を成功させたいのなら、まず(労働者と消費者の)安全で、その次が品質。そして最後に生産(=売上げ)なんだよ。


 


追記 wikipediaにも詳しく書かれていました。
 最初は『生産第一 品質第二 安全第三』だったのが、安全第一 品質第二 生産第三に変わったらしい。
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by luchino001 | 2008-09-17 21:52 | 思ったこと

くた○れ、消防団!

 何やら物騒なタイトルになってしまったが、実をいうと僕は地元の消防団に属している。
 ボランティアでやる青年団みたいなものなのだが、皆さん、もし勧誘されたなら興味のある人以外は徹底的に断ることをお勧めします。

 とにかく、依頼に来た時の説明と活動の実情が余りに違う。
 仕事をやりながら大学生もやっているのでなかなか出席できないと事前に言って承諾されて入ったにも拘らず、
「みんな用事があるのを何とかして来ているのだからお前も何とかしろ」
「みんな頑張って眠い中来てるんやからお前も来い」
 と、やたらとみんなという言葉が都合よく使われる。
 ここは創価学会の牙城会や創価班ですか!?と言いたくなる。
 他にも山ほど言いたいことはあり、年末夜警や出初め式も終わったことだし(これも事前に説明されていなかったっての)、もう我慢ならん。

 というわけで、辞めてやると行って参りました。
 そんな組織だから、当然執拗な説得を受け修羅場になったが、全て論破し切ってやった。
 他人に面と向かってあそこまで言ったのは初めてかもしれない。
 しかし、まだまだ引き止め工作は終わらないはず。
 今度は幹部を引き連れてアポなし訪問してくることは間違いない。
 本当にカルト教団のようだ。
 負けてたまるか!

 消防に熱意を持ってやっている人を否定する気持ちはさらさらないし、ある意味では尊敬してしまうくらいだが、なぜ積極的でないぬるい人に対して自分と同じレベルの活動を要求する人間がああも多いのか、地域にもよるのだろうけど。
 入る事情は皆様々だ。
 仕事も家庭も色々なのだからそれは当然で、積極的に活動できない人もむしろいてしかるべきなのに、そのあたりへの想像力が決定的に欠けている。
 仕事ではないのだから、頑張るのも自由だし、ほどほどに自分のペースでするのも自由だ。
 そうでないのなら職業にしている人だけで活動するべきだ。
 消防団を自分の居場所にするのは勝手だが、序列をつけて得意になっている連中と時間を共にするのは僕にはかなり苦痛だった。
 そこまで我慢するものではないと気づいたから辞めると決心したわけだが。

 実情を隠さないと人員を確保できない組織なんてマトモじゃない。
 もう末期の状態だと言っていい。
 このまま抜本的な改革をしなければ消防団の平均年齢がどこまでも高くなっていくことはまず間違いないだろう。


 追記
 タイトルは半分冗談ですが、本気にする人がいるとちょっといかんなとも思ったので少し変えました。

 その後、班長と分隊長のアポなし訪問は必至の状況だったが、それならば機先を制してこっちから仕掛けてやれ!ということで分隊長宅へ辞める意志を直接伝えに行った(勿論アポなしで)。
 班長から連絡はまだ届いていなかった様で不意打ちを食らった相手は説得もちぐはぐになり、要求があっさりと通ってしまった。
 あとは文書にサインして制服を返却するのみ。
 少し強引なやり方かもしれないが、これでこちらの意志はしっかりと伝わっただろう。
 上手く行き過ぎて怖いな・・・。
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by luchino001 | 2007-01-27 01:20 | 思ったこと

正直に

 自分自身に忠実でありたいと思う。
 やりたいことをやり、やりたくないことをやらない。
 正しい、好ましい、格好良いと思うことを行い、汚くて卑怯で格好悪いことをしない。
 それだけなのだが、自分はこれっぽっちもできていない。
 いい人ぶって自分をゴマカし、言い訳を作っては自分を正当化する。
 やりたいことをやらずやりたくないことを渋々受け入れるときはそんなことをしているのだ。
 まったくどうかしている。

 最近、千葉敦子氏というジャーナリストの本『死への準備日記』を読んだ。
 タイトルから想起させられるように彼女は癌で亡くなっているのだが、読んでみると悲壮感はまったくなく、冷徹な視線と確固たる意志で貫かれている。
 病気と取っ組み合いをしながらも仕事や趣味をこなしてひたすら走り続ける姿が書かれ、並の人間ではとても出来ない濃度の高い日常。
 驚くほどタフな精神力だ。
 滅茶苦茶気が強く自分に自信があって、時に辛辣なことや眉をしかめたくことも書かれているが、この人の性格とエネルギーに少し羨ましくなってしまったわけで、その本にこんなことが書かれてあった。

 人生に求めたものは

新聞記者になりたいと思った
新聞記者になった
経済記事を日本語で書いた
経済記事を英語で書いた
ニュースを書いた
コラムを書いた

世界を旅したいと思った
世界を旅した
プラハで恋をした
パリで恋を失った
リスボンでファドを開いた
カルグリで近郊の中を歩いた

本を書きたいと思った
本を書いた
若い女性のために書いた
病んでいる人のために書いた
笑いながら書いた
葉を食いしばって書いた

ニューヨークに住みたいと思った
ニューヨークに住んだ
毎晩劇場に通った
毎日曜日祭りを見て歩いた
作家や演出家や画家に会った
明白な説明を受けて癌と戦った

私が人生に求めたものは
みな得られたのだ
いつこの世を去ろうとも
悔いはひとつもない
ひとつも


 ここまで自分に忠実に生き切って終わった人はそうはいないだろう。
 こんな風に生きるのは僕には間違いなく無理だが、もう少し我儘にならないとこのままじゃやっぱりつまらん。
 どれだけ日常を主体的に動いているかを時々確認しよう。
 恐る恐るでもとにかく一歩を踏み出せば、たとえ小さくとも風は起こる。
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by luchino001 | 2007-01-23 21:47 | 思ったこと

宗教と芸能人

 ここ半年、『きっこの日記』でナンミョーキャンペーンが続けられている。
 簡単に言うと創価学会批判で、ああいう影響力の強いブログで取り上げられること自体はいいことだとは思うが、その内容を読んでみるといくらなんでもそれはやりすぎだろと言いたくなることがある。

 創価学会のPR活動に積極的に協力している氷川きよしや長井秀和、他の芸能人やファンを折伏しまくっている久本雅美やデフテックの狂信ぶりとイメージ戦略には吐き気がするし、ああやってネット上で吊るし上げられても自業自得だと言えるが、それ以外の、ただ単に信仰しているだけで創価学会とはある程度距離を置いている有名人まで重症ナンミョー患者などといって攻撃するのは、あまりに執拗でちょっと賛成できない。
 創価なんかなければなぁと今までに何万回も思っているけれども、それとは別に他人を巻き込んだり反社会的な行動を起こさない限りにおいて、誰が何を信じようと僕は別に構わないと考えるようにしている。
 たとえ脳内パラダイスで逝っちゃってても、あちらから関わってこなければ興味もないし面倒臭いから批判なんかしない。
 だから石原さとみや中村俊輔やジャニーズの滝沢が創価学会でも、学会員が折伏の際に名前を使うことくらいはあっても彼等が創価のPR映像などの媒体に出ない限りは彼等を批判しようとは思わないし、するのもどうかなと思う。
 ただし、学会関連の有名人が不自然に沢山出演する番組にはどうしても胡散臭いものを感じないわけにいかず、非常に不愉快ではある。
 それにもしも好きなバンドが創価学会だと知ってしまったら正直複雑な気持ちにならずにいられないだろう。
 そういえばBENNIE Kもなんかそんな気がするがどうだろう・・・?

 『きっこの日記』は色んな意味で面白いブログだが、創価批判をするのなら芸能人を吊るし上げるばかりじゃなくもっと本質を突いたことを書いて欲しいと思う今日この頃なのだ(きっこの日記風に)。


※追記
 ふと思ったが、嘘か真か分からない微妙なことが書かれているのがあのブログの売りなので、真面目な創価批判なんてあまり期待するもんじゃないのかも。
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by luchino001 | 2006-09-06 00:13 | 思ったこと

カルトのニュースなど

 長い梅雨が明けたこととお盆前により、仕事が怒涛のように押し寄せて無茶苦茶な日々となっているが、お盆が来ればこの生活もあと少しで終わる。
 頑張らねば。

 そんなわけでブログの更新が減り、最近では亀田のことくらいしか書いていないわけだが、それより少し前に気になるニュースがあった。
 それは統一教会や摂理などのカルト宗教が大学のサークルを装って勧誘活動をしている件で、今もテレビや新聞で報道されている。

 事件を起こしたのだからそれらの団体を取り上げるのは当たり前だが、マスコミはもう少し掘り下げた解説をしてくれないものかと思ってしまう。

・カルトとは一体何なのか?
・カルトといわれる団体に共通する特徴。
・旧来の宗教との違い。
・カルトに引っ掛からないための心構え。

 事件の表面ばかりを追っていないで、以上に挙げたことくらいは報道するべきだ(報道してる番組があったらすいません)。
 ワイドショーがカルトの危険性についてもっと取り上げてくれたら国の対策も少しは進むんじゃないかと思う。
 とはいっても、似たことをやっているある巨大な団体の圧力がかかって踏み込めないのかもしれないけど。


 話題が変わるが、モーグルの上村愛子選手がブログで亀田興毅の試合に感動したと書いたことがきっかけで炎上してしまった。
 覗いてみたが、あれは酷すぎる。
 まっとうな批判や擁護するコメントもあったが、人権侵害といってもいいようなものがやはり目に付く。
 それと、悪のりしてふざけたものも多い。
 著しく酷いコメントにはエキサイトは何らかの手を打つべきだと思う。
 逆に、相当傷ついたと思われるのに、批判に対して誠実に対応した上村選手は立派だった。

 確かに僕もあの親子が嫌いだし試合もおかしいと思ったが、だからといって違う感想を持った人に対してあそこまで人格や存在を否定してしまっていいわけがない。
 自分が正しいと確信するなり、違う考えの人間を見つけると、優越感なのか怒りなのか分からないが徹底的に叩き潰さないでいられない。
 そういう奴らには反吐が出る。
 カルトにはまっている連中と精神構造はそう変わらないんじゃないか。
 自分は正しいのだから、間違っている馬鹿な奴らを啓蒙してやるんだなんていう思い上がりは特に似ている。
 しかし一方で、炎上してて面白いからもっと油を注いでやれっていう連中もいて、そんなのは亀田親子を批判できるほどの人格すらもないと思う。

 嫌なニュースを取り上げたが、無防備に情報を浴びているうちにいつの間にか極端な方向に陥ってしまっている、しかも本人はそれに全く気がつかない、なんていう危険はカルト宗教に限らず、意外とすぐ傍にあるものなのかもしれない。


 最近、何かの批判ばかり書いているなぁ・・・・。
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by luchino001 | 2006-08-11 01:05 | 思ったこと

難しい問題

 気がつくことは難しい。

 場の空気が読めない人、自分がこんなに不幸なのは周囲の人間や環境が原因だと常に考えてしまう人、善意の押し付けや余計なおせっかいを優しさだと勘違いしている人、求めるだけで与えることを知らない人、他人の意見が自分と一致していないことが許せない人。

 僕は今まで生きてきて、このような人達と何度か知り合ったことがある。
 彼等の考え方は常に一方的で、「もしかしたら、私は間違っているかもしれない」という考えがまったく欠落している。
 他人を察することを知らないことと、自分に自信を持つことは全く別物だが、その辺からして既に勘違いしていたりもする。

 彼等の流儀に付き合っているうちは、互いの関係に波風は立たないのだが、彼等はなぜかこちらの人生に侵食しようとする者が多い。
 しかも大切な場所を土足で踏み込むように乱暴な作法でだ。
 このため嫌いとまでいかなくても、付き合うのはなかなかの忍耐が必要だし、何より面倒臭いため、当然、その周囲には人があまり集まらない。
 その状況に気がつくと、彼等は周囲の人間が冷たいと思い込んでしまい、こうして不幸な負の連鎖が続いていくことになる。

 そういう、まさに『自分の中で世界が完結してしまった人達』が、そんな自分に気づくということは、とてつもない飛躍なのではないかと、最近よく思う。
 それはきっと魂そのものが入れ替わってしまうくらいの出来事で、その前と後とでは世界はまったく違うものに見えるのだろう。

 ただ、想像できるのはそこまでで、彼等がどうしたら気がつくのかについては全く分からない。
 分かってしまった人を見たこともないし。
 もしも気づかせる方法を誰かが発明したなら、世界じゅうで起こる問題の何割かは確実に解決されるはず。
 なんてエラそうに書いてる僕も、実は気づかにゃならんことが死ぬほどある、何にも分かっていない若造だったりするわけで。
 誰か知っていたら教えてくれませんかね?
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by luchino001 | 2006-02-10 23:21 | 思ったこと

溜息の日々

 ブログを書くモチベーションがどうにも上がってこない。
 更新のペースが遅い上に記事の内容もしょぼいことしか書いてなくて、読んでくださっている皆様には申し訳ないなあと、近頃思ってます。

 日常生活では精神的に厳しい日々が続いている。
 厄介なのは、その原因が分からないこと。
 現実にしんどいことはあったが、それが過ぎ去っても、地底で這いつくばっているような重苦しい精神状態から一向に回復しない。
 無意識に突然「死にたい」と口走ってしまうことまであって、かなり自分がおかしくなっている。
 本当に死にたいと思っているわけではないのに、勝手に口からそんな物騒な言葉が出てくるのは、非常に気持ち悪い。
 バイオリズムとか月の満ち欠けとかに影響されてるんだろうか?
 それとも霊の仕業か?
 そんなアホなことを想像する時点で十分おかしいな・・・・・。
 
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by luchino001 | 2005-12-30 01:46 | 思ったこと

ふたつの終わり

その1
 三国志の曹操が主人公の漫画『蒼天航路』が今週号のモーニングで終わった。
 諸葛亮孔明の登場場面があれほど少ない三国志がかつてあっただろうか。。
 あっけない終わり方ではあったが、これを超える三国志漫画をつくるのは永久に無理だと思えるくらい面白い作品でした。

その2
 あきあこさんのブログ『創価学会からの奪還』が終わった。
 いや、無くなるわけではないから本編終了ということでいいのか。
 お疲れ様でした。
 あきあこさんは宗教が大嫌いといってたけど、宗教よりも本当は、信仰することと宗教を語ることを混同し、出家して修行するということもなく、しかもやたら善人面をしたがる(或いは何としても自分は善人の側にいたいと願う)人達がもっと嫌なのではないかなという気がした。
 外れてたらすいません。

 いや、それはちがうな。
 あきあこさんじゃなく自分のことだ。
 そういうブログやコメント読んでるとウンザリしますから。
 バリバリの人とか。思えば宗教の皮をかぶったらしきものを刷り込まれて語る人もいたりする。
 そんな人達には、お花畑でいつまでもメルヘンな夢を見てたらいいんじゃないですか、と言いたい。
 当然迷惑がかからない範囲でという条件付きで。
 まあ、だんだん夢から覚めるのが怖くなって、いつの間にか覚められなくなったりするかもしれませんが。

 在家と僧侶はやっぱり違うと僕は思う。
 組織に属するとか、知識の在る無しとか、どっちが偉いとか、そういう意味ではない。
 覚悟の問題?どうやろ?
 図面を引いたり研究はしてるけど、建築現場では手でモノを作る大工には決してなれない設計者のような感じか?
 あーよく分からん。書いててさらに分からなくなってきた。
 とにかく違う気がするのだ。
 とりとめのない文章ですいません。
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by luchino001 | 2005-11-10 22:15 | 思ったこと
 以前取り上げた映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』の記事に、いつの間にかトラックバックが4つもついていた。地味な記事にもかかわらず。
 訪問者が少ない当ブログでは異例のことです。
 どうもありがとうございます。

 これは僕の文章がいいということではもちろんなく、100%この映画の魅力によるものである。
 『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て3ヵ月近くになるが、僕の中ではいまだにエルネストとアルベルトの二人が存在している。
 こんなに深い余韻を与えられた映画はけっこう久しぶりだ。
TB先のブログやコメントを拝見しても、単なる感動を超えたものを映画から受け取った人は多いように思う。
 僕の記事よりよっぽど上手く、その魅力が書かれているので、興味ある方はTB先のブログを読んでみてください。

 そういえば、この作品の監督ウォルター・サレスの最新作がホラー映画『ダーク・ウォーター』というのは、どういうことなんだろう?
 あまりにも畑違いだと思うんだが。
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by luchino001 | 2005-11-06 20:16 | 思ったこと
 大学の通信部建築科の講義を月一くらいの割合で受けている。
 建築・インテリアに関する勉強は一通り済ませているが、まだまだコンセプトワークに磨きをかけねばならないと痛感したことがあり、4月から仕事の合間を縫って受講していた。

 その講義に参加する人は様々な年代にまたがっていて、高校を卒業したての子もいれば60歳手前くらいの初老の方もいる。
 普段知り合えそうにない人と話すことができるので、なかなか楽しい時間である。

 その講義の最後に行われる課題の合評会で、気になることがある。
 40歳以上の男性はなぜか『人生』というコンセプトで作品を作る人が多いのだ。

 どえらいテーマであるけれど、建築は芸術ではない。
 はっきり言って『人生』というコンセプトではあまりに曖昧で主観が強すぎ、頑張って作品を作り上げても人には伝わらない、独りよがりなものになる。
 芸術ではないから、人に伝わらないものは作品としては良くない。

 バッサリと切ってしまったが、そりゃデザインの勉強を始めたばかりだから仕方がないというもの。
 しかし、この人たちは一体どんな人生をおくってきたんやろ?
 なんで今更建築の勉強を始めたのか?
 という興味はめちゃくちゃ湧いた。
 立体作品に『人生』というテーマを込めるほどの荒波を彼等は乗り越えてきたんだろうか?
 それとも40歳を超えると自然と人生について考えさせられるのか?
 いや、意外と何にも考えてなくて思いついただけなのかも。
 その辺の話を聞いてみたかったけど、聞けなかった。
 うーん、気になる。
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by luchino001 | 2005-11-04 00:12 | 思ったこと