だらだらと書いてます。


by luchino001
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くた○れ、消防団!

 何やら物騒なタイトルになってしまったが、実をいうと僕は地元の消防団に属している。
 ボランティアでやる青年団みたいなものなのだが、皆さん、もし勧誘されたなら興味のある人以外は徹底的に断ることをお勧めします。

 とにかく、依頼に来た時の説明と活動の実情が余りに違う。
 仕事をやりながら大学生もやっているのでなかなか出席できないと事前に言って承諾されて入ったにも拘らず、
「みんな用事があるのを何とかして来ているのだからお前も何とかしろ」
「みんな頑張って眠い中来てるんやからお前も来い」
 と、やたらとみんなという言葉が都合よく使われる。
 ここは創価学会の牙城会や創価班ですか!?と言いたくなる。
 他にも山ほど言いたいことはあり、年末夜警や出初め式も終わったことだし(これも事前に説明されていなかったっての)、もう我慢ならん。

 というわけで、辞めてやると行って参りました。
 そんな組織だから、当然執拗な説得を受け修羅場になったが、全て論破し切ってやった。
 他人に面と向かってあそこまで言ったのは初めてかもしれない。
 しかし、まだまだ引き止め工作は終わらないはず。
 今度は幹部を引き連れてアポなし訪問してくることは間違いない。
 本当にカルト教団のようだ。
 負けてたまるか!

 消防に熱意を持ってやっている人を否定する気持ちはさらさらないし、ある意味では尊敬してしまうくらいだが、なぜ積極的でないぬるい人に対して自分と同じレベルの活動を要求する人間がああも多いのか、地域にもよるのだろうけど。
 入る事情は皆様々だ。
 仕事も家庭も色々なのだからそれは当然で、積極的に活動できない人もむしろいてしかるべきなのに、そのあたりへの想像力が決定的に欠けている。
 仕事ではないのだから、頑張るのも自由だし、ほどほどに自分のペースでするのも自由だ。
 そうでないのなら職業にしている人だけで活動するべきだ。
 消防団を自分の居場所にするのは勝手だが、序列をつけて得意になっている連中と時間を共にするのは僕にはかなり苦痛だった。
 そこまで我慢するものではないと気づいたから辞めると決心したわけだが。

 実情を隠さないと人員を確保できない組織なんてマトモじゃない。
 もう末期の状態だと言っていい。
 このまま抜本的な改革をしなければ消防団の平均年齢がどこまでも高くなっていくことはまず間違いないだろう。


 追記
 タイトルは半分冗談ですが、本気にする人がいるとちょっといかんなとも思ったので少し変えました。

 その後、班長と分隊長のアポなし訪問は必至の状況だったが、それならば機先を制してこっちから仕掛けてやれ!ということで分隊長宅へ辞める意志を直接伝えに行った(勿論アポなしで)。
 班長から連絡はまだ届いていなかった様で不意打ちを食らった相手は説得もちぐはぐになり、要求があっさりと通ってしまった。
 あとは文書にサインして制服を返却するのみ。
 少し強引なやり方かもしれないが、これでこちらの意志はしっかりと伝わっただろう。
 上手く行き過ぎて怖いな・・・。
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by luchino001 | 2007-01-27 01:20 | 思ったこと

正直に

 自分自身に忠実でありたいと思う。
 やりたいことをやり、やりたくないことをやらない。
 正しい、好ましい、格好良いと思うことを行い、汚くて卑怯で格好悪いことをしない。
 それだけなのだが、自分はこれっぽっちもできていない。
 いい人ぶって自分をゴマカし、言い訳を作っては自分を正当化する。
 やりたいことをやらずやりたくないことを渋々受け入れるときはそんなことをしているのだ。
 まったくどうかしている。

 最近、千葉敦子氏というジャーナリストの本『死への準備日記』を読んだ。
 タイトルから想起させられるように彼女は癌で亡くなっているのだが、読んでみると悲壮感はまったくなく、冷徹な視線と確固たる意志で貫かれている。
 病気と取っ組み合いをしながらも仕事や趣味をこなしてひたすら走り続ける姿が書かれ、並の人間ではとても出来ない濃度の高い日常。
 驚くほどタフな精神力だ。
 滅茶苦茶気が強く自分に自信があって、時に辛辣なことや眉をしかめたくことも書かれているが、この人の性格とエネルギーに少し羨ましくなってしまったわけで、その本にこんなことが書かれてあった。

 人生に求めたものは

新聞記者になりたいと思った
新聞記者になった
経済記事を日本語で書いた
経済記事を英語で書いた
ニュースを書いた
コラムを書いた

世界を旅したいと思った
世界を旅した
プラハで恋をした
パリで恋を失った
リスボンでファドを開いた
カルグリで近郊の中を歩いた

本を書きたいと思った
本を書いた
若い女性のために書いた
病んでいる人のために書いた
笑いながら書いた
葉を食いしばって書いた

ニューヨークに住みたいと思った
ニューヨークに住んだ
毎晩劇場に通った
毎日曜日祭りを見て歩いた
作家や演出家や画家に会った
明白な説明を受けて癌と戦った

私が人生に求めたものは
みな得られたのだ
いつこの世を去ろうとも
悔いはひとつもない
ひとつも


 ここまで自分に忠実に生き切って終わった人はそうはいないだろう。
 こんな風に生きるのは僕には間違いなく無理だが、もう少し我儘にならないとこのままじゃやっぱりつまらん。
 どれだけ日常を主体的に動いているかを時々確認しよう。
 恐る恐るでもとにかく一歩を踏み出せば、たとえ小さくとも風は起こる。
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by luchino001 | 2007-01-23 21:47 | 思ったこと

談合問題とその背景

 近頃、談合の摘発が頻繁に起こり、マスコミの扇動も手伝って世間では魔女狩りの如く談合撲滅が叫ばれているが、どうも引っ掛かる。
 だったら記者クラブも書籍の再販も新聞の特殊指定もやめちまえと思うのだ。

 談合には公正な競争が阻害される一方で、地方の建設・土建業界の保護という一面もある。
 資金力・コスト圧縮力の大きな大手ゼネコンならともかく、地方の中小の建設・土建企業にとっては受注調整による分配は死活問題というところが多く、談合を撲滅するために一般競争入札を導入すれば最悪の場合大量に倒産が発生するのは否定できない。
 それは建設・土建屋に止まらず、その1次、2次の下請けにまで影響は及び、結局、最後にはその地方には都市に本社を置く大手のみが生き残り、その土地の土建・建設に関わる技術が根こそぎ失われ焦土と化してしまいかねない(これはちょっと言いすぎかな)。
 地方自治体が一般競争入札を導入するのに躊躇いが見え隠れするのは、旧来のしがらみだけではなくそこのところが大きいからだと思う。

 市場原理で競争を過熱させるのは初期コストを抑えるのには有効だが、品質を維持する意味ではリスクが高い。
 数億円規模の巨大公共工事ならともかく、ただでさえ利益の薄い数百万円規模の河岸や道路の整備工事まで一般競争入札で決めていては、コンクリートの配合や鉄筋の入り具合など利益確保のため、現場で誤魔化される事例が増える可能性が高くなるのは充分に考えられる。
 競争入札による工事価格によってイニシャルコストを抑えたためにメンテナンス等にかかるランニングコストが逆に上がったのではそれこそ本末転倒だと言えるが、住宅業界などでも建てるときの価格ばかりが注目されてランニングコストに目を向けられることが少ないことには少々歯がゆさを感じる。
 談合は税金の無駄使いだという形で報道はされているが、過去のデータなどからきっちりと見積もって工事予定価格を出せば談合のあるなしに関わらず価格は抑えられるはずだ。

 首長や公共工事担当者への収賄は絶対に許されるべきではないが、談合そのものが叩かれるのはよく分からない。
 工事価格が釣り上がるから悪なのか、それとも限られた企業が密室で話し合って受注調整するから悪なのか。
 工事価格については自治体が精度の高い積算を行って予定価格を出せば解決する話で、後者が悪いのであれば、地場産業の保護ということで密室ではなく堂々と公開して受注調整を行えばいいのではないだろうか。
 限られた企業と言っても、指名に当たって明確にルールを作り、その工事に見合った施工能力のある企業が地元にあるのなら、わざわざ外部の企業に工事させるよりも地元の方に頼んだ方がメリットが大きい。
 もちろんその地域にお金を落とすということもある。
 土地の企業を優先するのは意見が分かれるところかもしれないが、一般競争入札を全面的に導入するのは、僕としては非常に大きな痛みが伴う割には恩恵が少ないように感じられて仕方がないのだ。

 ただ、建設・土建屋は多すぎるのは確かでこれは何とかしなければならない。
 ある程度の数にまで減らしていかなければならないが、どう手を打つべきかはまだ分からない。

 それと談合の摘発が突然増えた原因には、独占禁止法の改正による公正取引委員会と地方検察当局との連携が強化されたことがある。
 そして独占禁止法を改正させたのにはアメリカの年次改革要望書が力を及ぼしている。
 この内容は大きなお世話で内政干渉もいいところなのだが何故かマスコミは年次改革要望書についてはスルーしてしまう。
 彼等が要求することでアメリカの国益にならないことは一つとしてない。
 そしてそれらは日本の国益につながるとは限らない、と言うか従えば殆どが国の切り売りみたいなもんである。
 談合の撲滅キャンペーンの裏にはアメリカが一枚噛んでおり、そこに何ともいえないキナ臭さを僕は感じないわけにいかないのだ。

関連 wikipedia 年次改革要望書
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by luchino001 | 2006-12-19 15:31 | テレビ・時事・ニュース

悶々と・・・

 テンションの低い日が続いてなかなかブログを更新する気になれない。
 季節の変わり目で体調が悪いせいだろうか。
 マメに足を運んでくださる方がおられたら申し訳ありません。

 まとめていくつか感じたことを書きます。

・サッカー 日本対ガーナ戦
 負けたが何度か連動性のある攻撃があり、いくらかマシにはなった。
 しかし、絶望的な気分にさせられるほどのレベルの差も同時に感じた。
 単に身体能力だけではなく基本的なボールを扱う技術すらもガーナに敵わなかった。
 トラップからパス、ドリブル、シュートに移行する動きがスムーズに行われておらず、見ていてバタバタともがき苦しんでいるように見えて落ち着きが無い。
 あれほど慌ててシュートを放ってもそう入るもんじゃない。
 Jリーグのレベルはセルジオ越後が言う通り下がっているのかもしれない。

・阪神
 見ていて本当に面白いし、強い。
 奇跡は起こらないかもしれない、それでも必死に中日を追いかけて勝ち続けるのを観ていると涙腺が緩みそうになってしまう。
 たとえ優勝できなくても、阪神はこの数年で勝者のメンタリティを備えたチームになった。
 数年は面白いシーズンを楽しめそう。

・安倍晋三総理
 『美しい国』というキャッチフレーズはよく分からなくて、ああいう抽象的なことを堂々と発言するのは非常に危険だ。
 安倍総理にとっての美しい国は僕には美しく感じられないかもしれないと漠然と不安がよぎる。
 それとは別に、国会中継をちらっと観たが、その豹変ぶりに違和感を感じた。
 たしかに強気一辺倒は上手いやり方ではないと思うが、ハナからあそこまで信念を曲げて譲歩するのもいただけない、しかも民主党相手に。
 中国は与しやすしと判断しているかも。
 単にディベート能力が低いだけなのか?それならそれで問題がある。
 あの人の運の潮目は確実に変わりつつある。

・NO DANCE,NO LIFE 
 今日、WOWOWでモーリス・ベジャール演出のバレエ『NO DANCE,NO LIFE』が放送されていた。
 残念ながら僕が観たのは途中からだったが、久々に観ることができて嬉しくなった。
 ベジャールのダンスはバレエというジャンル分けに意味がないほど自由で、肉体の動きが艶かしい。
 ダンサー達のしなやかでピアノ線のような繊維質の筋肉が、日常ではありえない動きをすることによってもたらす官能はルキノ・ヴィスコンティや三島由紀夫に似たもので、毒に満ちている。
 大学時代に、彼の演出した仮名手本忠臣蔵を下敷きにした作品を劇場で観たことを思い出した。
 S席のチケットを2枚購入し一緒に観てくれる人を探したが、期待に反してどんなに魅力を説明しても同行してくれる者は見つからず、当日は満員のホールで僕の隣だけが空いていたっけ・・・。
 めちゃくちゃ感動はしたけれど、その思い出を共有してくれる人がいないのは寂しい。
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by luchino001 | 2006-10-07 02:11 | その他
 イエメンといわれて思いつくこと。
 アデンという町があり、そこはエデンの園だったのではないかといわれている。
 詩人のランボオと所縁が深い。
 中東なのに資源が少なく貧しいらしい。
 首都サナアの独特の模様に彩られた建築が世界遺産に登録されている。

 知っていることはこれくらいだが、見所は多そうで中東では個人的にイランと共に行ってみたい国の一つだ。

 で、そのイエメンと日本代表の試合を観たのだが、まーひどかった・・・。
 試合もひどかったが、何よりデコボコのピッチが最悪で、あれじゃあストリートサッカーをやってるようなもの。
 それとピッチの幅が異常に狭く感じたのだが気のせいだろうか。


 オシム監督になって4戦目だが、相変わらず内容は良いとはいえない。
 選手達はオシムの考えるサッカーを具現化しようと努力しているのは分かるが、それにプライオリティが置かれるあまり、対戦相手のことが置き去りにされているように感じる。
 闘争心よりもオシムサッカーをすることが最優先になっているのだ。
 人もボールもよく動く速い展開のサッカーをすることばかりに気を取られていて、かえってリズムが単調になり、観ている方としてはかなり苦痛を受ける。
 もっとエスプリの効いたプレーが観たかった。
 現状では本当の意味で「考えながら」プレーしていると言えないのではないか。
 とにかく選手達は素直すぎるというか、もっと己に対する自信とふてぶてしさを持った方がいい。
 監督に従順に従うだけでは駄目で、それこそオシムが最も嫌うことではないかと思う。

 采配にも疑問がある。
 守りきることのみが目的とさえ思えるような戦い方のイエメンに対して、ボランチが本職の選手を何人も同時にピッチに送り出す意味がよく分からない。
 遠藤はいい選手だと思うが断じて攻撃的MFではなく、リズムが単調になってしまった原因はそこにもあると思う。
 相手の戦い方から考えて守備能力の高い鈴木啓太じゃなく攻撃的な長谷川誠が先発という手もアリではなかったかなという気もする。


 それとサッカー協会とマスコミについて。
 オシムに対して遠慮しすぎ。
 これではジーコと同じくアンタッチャブルな存在になってしまう。
 強化委員会のチェック機能が働かなかったことが失われた4年間の大きな原因の一つだと僕は思っている。
 サッカー協会は同じ失敗を繰り返さないため、信頼することと妄信することを混同しないよう注意しなければならない。
 マスコミの仕事は過剰に持ち上げることと手の平を返して貶めることですか?
 裏で電通とのしがらみがあるのかもしれんが、そいつらも含めて国民を舐めすぎ。
 こちらも試合後の会見でオシムに教育されるのを待たないといけないのが情けない・・・。
 実力以上に期待→現実を突きつけられ失望して叩きまくるという、このパターンはもういいです。
 
 代表のサッカーの話題に戻るが、限りなくポジションがフリーで、個々が責任を持って主体的にリスクチャレンジに挑み、それらが有機的につながっていくサッカーがおそらくオシム監督の理想だと思われるが、正に理想なだけに道は険しい。
 今のところリスクチャレンジというより、いかに責任回避するかを考えながら走ってるんじゃないの?と厳しいことを言いたくなるような内容である。(それでもジーコジャパンより遥かにマシ)
 まだ始まったばかりだからちぐはぐなのは当たり前ではあるが、果たしてアジアカップまでに間に合うだろうか・・・。
 間に合わなかったら更迭もありうる。
 まあ何だかんだと書いたが、基本的にオシム路線には大賛成なので更迭されないことを祈りながら同時にブツブツと文句も言いつつ代表の成長を見ていきたいと思う。
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by luchino001 | 2006-09-08 01:28 | スポーツ

難しい問題

 気がつくことは難しい。

 場の空気が読めない人、自分がこんなに不幸なのは周囲の人間や環境が原因だと常に考えてしまう人、善意の押し付けや余計なおせっかいを優しさだと勘違いしている人、求めるだけで与えることを知らない人、他人の意見が自分と一致していないことが許せない人。

 僕は今まで生きてきて、このような人達と何度か知り合ったことがある。
 彼等の考え方は常に一方的で、「もしかしたら、私は間違っているかもしれない」という考えがまったく欠落している。
 他人を察することを知らないことと、自分に自信を持つことは全く別物だが、その辺からして既に勘違いしていたりもする。

 彼等の流儀に付き合っているうちは、互いの関係に波風は立たないのだが、彼等はなぜかこちらの人生に侵食しようとする者が多い。
 しかも大切な場所を土足で踏み込むように乱暴な作法でだ。
 このため嫌いとまでいかなくても、付き合うのはなかなかの忍耐が必要だし、何より面倒臭いため、当然、その周囲には人があまり集まらない。
 その状況に気がつくと、彼等は周囲の人間が冷たいと思い込んでしまい、こうして不幸な負の連鎖が続いていくことになる。

 そういう、まさに『自分の中で世界が完結してしまった人達』が、そんな自分に気づくということは、とてつもない飛躍なのではないかと、最近よく思う。
 それはきっと魂そのものが入れ替わってしまうくらいの出来事で、その前と後とでは世界はまったく違うものに見えるのだろう。

 ただ、想像できるのはそこまでで、彼等がどうしたら気がつくのかについては全く分からない。
 分かってしまった人を見たこともないし。
 もしも気づかせる方法を誰かが発明したなら、世界じゅうで起こる問題の何割かは確実に解決されるはず。
 なんてエラそうに書いてる僕も、実は気づかにゃならんことが死ぬほどある、何にも分かっていない若造だったりするわけで。
 誰か知っていたら教えてくれませんかね?
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by luchino001 | 2006-02-10 23:21 | 思ったこと
・自分と同じIDの方のブログを発見した。
 タイトルは、ルキノ★ドロップス
 IDのアルファベットまで同じだから驚き。
 エロトラバの数にも驚きである。
 でも一番驚いたのが、お母様の若さだったりして。
 ブログの中でルキノという字を見つけるたび、呼ばれてるみたいでドキっとする。
 藤崎ルキノさん、女優さんで(すみません、知りませんでした)ブっ飛ぶほど(死語)の飛躍にこれから期待。
 名前が同じっちゅうことで、勝手ながら密かに応援します。
 ちなみに僕の名前の由来はルキノ・ヴィスコンティ監督(『ベニスに死す』『地獄に堕ちた勇者ども』『若者のすべて』など)である。
 エキサイトのリンクに追加させていただきました。不都合があれば削除します。
 フランソワ・オゾン監督は僕も好き。この方、サブカルにかなり詳しそうですな。

・超有名なさるさる日記『きっこの日記』を近頃読んでいる。
 軽い疑問だが、きっこさんは本当にヘアメークなのだろうか?
 耐震偽造事件、なにやら途轍もなく闇が濃く、深い事件のようである。
 事件の発覚以降、マンションの設計をしている友人からブチ切れメールがよく届くようになった。
 それでも守秘義務を守っている、エライ奴だ。
 でもちょっとは裏事情を教えてくれ。
 うーん、マンション業界で働いてなくてよかった・・・。

・今、三島由紀夫の『禁色』を読んでいる。
 老いた作家、老作家を苦しめた女性達、ギリシャ彫刻のように美しいゲイの美青年が登場する。
 これだけで面白そうじゃないですか?
 よくこんな文章が書けるよなと感動しっ放しである。
 三島作品を読むのは3年ぶり。
 これは大学生のときに購入し、それから読みたいのをずっと我慢して本棚で寝かせておいた。
 寝かせてある本のリストには、柄谷行人の『探究Ⅰ』、谷崎の『細雪』、ドストエフスキーの『未成年』、ガルシア・マルケス『百年の孤独』などがある。
 何年も寝かせたままだが、これらを読むのは一体いつの日になるんだろうか?
 柄谷とマルケスくらいは若いうちに早よ読まなあかんよなぁ・・・。

・どうやらBENNIE Kにハマった模様。
 アルバム全部を聴いてしまった。
 前回の記事で、
 > 『Sky』は珍しくメッセージが込められた曲~
 と書いたが、完全な間違いでした。
 珍しくなんかなく、伝えたいことを明確に持っている二人でした。
 人を外見で判断してはいけない。
 2ndアルバム『essence』が良い。
 才能の荒削り感を感じられるとこが気に入った。
 挫折を経験し辛酸を舐めたことのある人間でないと、あのリリックはなかなか書けないと思う。

・いとこが新婚旅行から帰ってきた。
 スイス、フランス、ドイツの3カ国を旅行してきたらしい。
 ええなあ~。
 よし、決めた。
 2年以内にヨーロッパをブラブラと旅します。
 仕事、休み取れるかな・・・。
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by luchino001 | 2005-12-22 01:40 | その他

耐震強度偽装事件に思う

耐震構造 書類不備でも審査 千葉の建築士 5年で90棟関与 (産経新聞)


「仮に法規に違反してビルを建てたならば、それは事務所でもマンションでも店舗でもなく、人殺しビルとしか呼ぶことができない」
 これは建築法規を学んでいたとき、講師から口を酸っぱくして何度も言われた言葉である。
 コストの締め付けや施主の無茶な要求を日頃から突きつけられ、法規の違反をごまかせるものならごまかしたいという誘惑は、建築関連の業界にいる限り絶えず付きまとうが、やってしまえば人殺しの仲間入りしたのと同じである。
 今回の事件で不正をした建築士の気持ちは分からないでもないが、絶対に許されない。
 と同時に、おそらくこんなことをやっている人は他にもいるはずだと思う。
 それくらい、施主・元請から要求されるコストのプレッシャーは厳しい。
 某住宅メーカーではあまりにコストの締め付けが厳しすぎるため(でも自分達の給料はしっかりと取っている)、最下請けの職人に十分な報酬が与えられず、生活が成り立たなくなって自殺に追い込まれてしまう、という例もあるほどだ。

 建設業界は真面目にやればやるほど儲からない仕組みになっている。
 金儲け目的で建築をすると、悪質リフォームや今回の事件のような違反建築ということが起きる。
 なぜならそうやるしか儲けることが出来ないから。
 誠実に仕事をしている会社なら、おいしい仕事なんて滅多にない、厳しい業界なのである。

 もしも納期と品質を維持して金を儲けようとすれば、その犠牲になるのはいつも下請けの職人さんである。
 安すぎると不満を口にすれば、たちまち現場から外されて他の職人と取り替えられてしまう。
 大手住宅メーカーはこれをやっていて、その職人の仕事に対する要求と値段のバランスがかけ離れており、非常に問題だと思う。
 余りにも利益率が高すぎる。

 だが逆に、設計事務所の現場でいいものを作ろうと施主・設計・施工管理・職人が一つになった時の雰囲気や、建物を作り上げたときの充実感は何物にも変えられない。
 そんな時は、自分は破壊・消費する側ではなく、生産する・与える側の人間なんだと実感できる。
 だから、夢がないとこの業界ではやっていけないし、夢を持てない人はこの業界に就いてはいけない。

 それともうひとつ。
 安すぎる建物の購入には気をつけましょう。
 というか、やめといた方がいいです。
 1坪あたり20万とかいう家は、何かウラがあると考えるべきです。
 普通なら60万くらいで、頑張っても、1坪当たり40万くらいが限度でしょう。地域や仕様にもよりますが。

 建築・りフォームのコストや悪質業者について、気が向いたらまた書こうと思います。
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by luchino001 | 2005-11-20 00:26 | テレビ・時事・ニュース

静寂なる世界

 昨日、何となく車で琵琶湖を一周してみた。
 地図でしか見たことのない人は知らないと思うが、琵琶湖はとんでもなく大きい。
 対岸が見えなくて海と間違える人がいるほどである。
 一周するのに5~6時間ほど時間をかけなくてはならず、琵琶湖の南側はいかにも関西の雰囲気なのだが、北側は北陸の空気感を濃厚に感じさせ、文化圏をもまたがっている。
 なのでちょっとした旅行気分が味わえてしまう。

 海津大崎から菅浦にかけての琵琶湖最北端の地域は、 リアス式海岸のように山と湖が複雑に絡み合った地形となっていて、映画のロケ地に使われないのが不思議なほど美しい場所である。
 でもロケ地になんてなって欲しくない。
 今後もずっと知られないままであって欲しい。
 あんなに美しいところが観光客でごった返すと思うと、ぞっとする。

 その琵琶湖の最北地へ着いたのは、午後4時半頃だった。
 傾いた陽の光が湖面に面した山々を照らしている。
 入り組んだ地形のため、みずうみの波は殆ど立たない。
 鏡のような湖面には、黒い山、水面から突き出た木々、夕暮れのグラデーションのかかった空が映し出され、辺りの静けさをいっそう際立たせている。
 時々、水鳥の羽音や木々の葉が触れ合う音は聞こえてくるが、それらはかえって静寂感をよりいっそう強めているように思えた。
 僕はしばらくそこに立っていたのだが、その無音状態が無性に心地よい。
 あの静けさは日常の生活ではまず体験できない。
 絶対的な静寂とでもいうのだろうか。
 単に音がないだけではないのだ。
 静けさと共に、山と空とみずうみの景色も静寂そのものでなければ、あの感覚は体味わえない。
 意味不明なことを書いているが、そうとしか思えないのである。

 自然の景色を見て圧倒されたことは何度かあっても、心の奥までとらわれたのは初めてかもしれない。
 あの静寂なる世界に身を置いていると、心の中が空っぽというか、何も考えずただ景色を自分の中に映し込む器になってしまったような感覚になった。
 それはもしかすると瞑想に近い感覚かもしれない。

 お金では買えない、贅沢な時間を送ってしまった。
 いつになるか分からんけど、今度訪れるときは近くの民宿で一泊して、名産の鴨料理と鮒寿司も堪能したいなあ。
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by luchino001 | 2005-11-01 00:34 | 京都・滋賀

活動やめて下さいな

 旅行記を書いている間に、自分の周囲では色んなことが起きていた。

 なんと、幹部から彼女に女子部の部長になって欲しいと依頼がきていたことが判明した。
 部長といっても、もちろん会社ではない。創価学会である。
 なんやよう分からんけど、区の部長とかいってたかな?
 もし就任していたら、将来自分達の間で深刻な問題を生むきっかけとなるかもしれないという予感がした。
 絶対断って欲しいと必死に訴えたことと本人も乗り気でなかったこともあり、何とか部長就任は逃れることはできたようだが、またいつ依頼がくるか分かったものではない。
 もし引き受ければ、彼女がどんな仕事をさせられるのか気が気ではなかった。
 一体どんなことをする役職なんだろ?

 創価学会では役職が上になればなるほど、生活が学会活動でがんじがらめになっていくらしい。
 仏教の本質(どんなんか知らんが)もしくは一般的な常識からかけ離れた事実との矛盾や仕事やプライベートとの両立に悩み、心の病にかかってしまったり体を壊してしまう人も少なくない。
 問題なのは、創価学会はそんな末端(とその家族・恋人・友人)の苦しみを和らげるつもりがサラサラない(としか思えない)ところ。
 実態はむちゃくちゃなのに抜本的に改善せず、その現実を踏まえ無理なのを承知の上で「家族・友人を大事にしろ」と二枚舌を使い、責任を末端におしつけているところがさらに許せない。
 弱い人では異論を主張したくても言い出しにくい雰囲気を作り上げておきながら、何を言ってもどこに投票しても自由ですと言う。
 全体主義的な組織がよくやる手法である。
 あー書いてて腹立ってきた。
 
 同じ悩みをもつ方のブログを拝見することがよくあるが、どれも他人事とは思えない。
 その人たちに比べたら、僕は趣味や勉強など気を紛らわすことが多いのでまだマシな方だろうと思う。
 別れの報告が書かれたときは、なぜか自分も学会に負けた気分になってしまう。
 華さんのブログ『妻はアンチ、夫はバリバリ』を読んでいつもうなずかされるが、活動家と付き合うのは精神的にかなりの負担である。
 華さんとこ半年前よりさらに賑わってるけども、華さんの痛みが自分の痛みのように感じてしまい、複雑な気分になってコメントできない。

 逆に学会員でも未活動の人と付き合うのなら、ほとんど心配はいらないと思っている。
 将来バリ学会員になるかもしれないが、ネットを見せるなど多少は予防対策の打ちようはある。
 活動家と付き合っている人間からするとちょっと羨ましいくらいだ。
 学会に嫌悪感をもつのは無理ないかもしれないが、相手が未活であっても脱会を強要するのも問題じゃないだろうか。
 それでは学会の強引な折伏と同じことをしていることになるし、憲法違反だと言われかねない。

 いわゆる良心的な学会員でも、「末端は暖かい」という言葉に逃げ、独善的で末端を単なる駒扱いしている組織の体質に気付かないふりを決め込んでいる人が多いと思われるのも問題。
 笑顔で会合行ってくるとかいわれても、内心こっちは心が引き裂かれそうになるわけで。
 信心に対してできるだけ理解はしているつもりでも、頻繁な活動はやはり気になるわけで。
 付き合って長くなるが、学会問題を解決するにはかなり時間がかると思う。
 これからもずっと頭を悩まされるのかと、やりきれないなと思うこともたまにある。
 しかし、だからといって別れようとも思わない。

 うーん、恋人が学会員とはじつに難しい問題です。自分だけに限らず。
 学会が原因で人間関係が壊れるのをネットで目にするのは、もう沢山です。
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by luchino001 | 2005-10-23 23:14 | 創価学会